【全体的なこと】
健常者であれば普通にやれたであろう学生時代のバイトであるとか、
やりたかったが、あきらめざるを得なかった、その思いをもって生きていること。
当然のごとくあきらめざるを得ない存在だと思われることへの複雑な思い。
医療機器を動かす電源は命綱であり、その不安とともにある日常。
そのことを簡単に理解してもらえないことへの複雑な思いのようなもの、などを感じた。
本書の中で、障がい者に関する過去の運動や議論や事件などが出てくるのだが、
それらの概要だけ辿っても、釈華のその複雑な思いのようなものは、短絡的なものではないとわかる。
健常者と障がい者の対立で語ると誤解を生じやすい気がするが、
書籍の電子化の不十分さを通して、健常者優位主義(マチズモ)と言ったことの意味について理解することは大事なところである。
【あらすじ】
先天性疾患により重度障がい者として生きる女性、釈華。
両親の残した潤沢な資金と、終の棲家として保障された介護環境の充実したグループホームで生活をしている。
表向きはおとなしい清楚な女性釈華。
裏ではネットでPV稼ぎのこたつ記事を執筆し、またSNSでは直ちに炎上しそうな発信「妊娠と中絶をしてみたい」などを繰り返している。
SNS発信など、だれも見ていないと考えていた紗華であったが、紗華の裏の活動をグループホームの男性介護士が気づいており、紗華に直接、ネットでの活動していることを指摘するのだ。
そしてその後、紗華は、「妊娠と中絶」をするため、男性介護士と1億円を超える支払いをする契約を交わしてしまう。
この契約に関して、釈華は死にかけ、入院するも一命はとりとめるのだが、
物語の結末では以外な展開をむかえる。
【釈華と著者】
小説を一読しただけでは、釈華の思いを理解することが、なかなか難解に思えた。
しかし著者は、芥川賞受賞後、雑誌「文学界」の中で、
専門が障がい者文化論の荒井裕樹氏と往復書簡で対話をしている。
このそれぞれの書簡文を読むと、著者の思い、そして紗華の思いが少し見えてくるのだが、その理解により大きなテーマのあることに気づかされるのである。
つまり、「この世に生を受けること」とは?、また「生ききるということ」とはどういうことか?について、あらためて考えさせられることになった。
【結び】
健常者であろうと障がい者であろうと、
助けを必要な人に、また助けが必要になった人に、必要なサポートが受けられる社会は理想のようで簡単ではない。
マインドとしては、助けが必要な人の気持ちを感じられる人間でありたいと思う。
それにしても、市川沙央氏の本書宣伝文句、『「ハンチバック」はこんな人におすすめです』で始まる本書宣伝文をみると、茶目っ気たっぷりの人だなと思う。